
長崎国際大学 名誉教授
榊原 隆三 医学博士
腸と全身をつなぐ小さな分子の正体
腸の中で生まれる小さな分子が、体全体の健康を支えています。その代表が「短鎖脂肪酸」です。便通を整え、代謝を助け、炎症や免疫を調整する力を持つこの物質は、医療や栄養学の分野で大きな注目を集めています。私自身がこの分野に関心を持つようになったのは、研究の過程で乳酸菌生産物質に出会ったことがきっかけでした。
乳酸菌が生み出す多様な代謝物質の研究
私は長年、がん細胞の増殖に関する研究を行ってきました。がん細胞の増殖に影響を与える因子やそのメカニズム、延命との関わりを探る中で、30年ほど前に「乳酸菌生産物質」に出会いました。ある企業から依頼を受け、豆乳を乳酸菌で発酵させた発酵液をがん細胞増殖の実験に加えたところ、増殖が大きく抑えられることを見出しました。この経験を機に、乳酸菌が生み出す多様な代謝物質の研究に取り組むようになったのです。
短鎖脂肪酸とは
乳酸菌生産物質とは、乳酸菌が発酵・増殖する過程で生まれる500種類以上の物質の総称です。ビタミン、核酸、中間代謝産物、ポリフェノールなど多彩で、健康作用は単一成分ではなく相互作用によってもたらされます。
その中でもいま注目されているのが「短鎖脂肪酸」です。
酢酸、酪酸、プロピオン酸といった短鎖脂肪酸は、乳酸菌やビフィズス菌が食物繊維やオリゴ糖を発酵させることで生まれる代表的な物質で、“天然の恵み”とも呼べる存在です。酢酸は血流に乗って全身を巡り、筋肉や臓器のエネルギー源となります。酪酸は大腸細胞の燃料として腸壁を守り「腸漏れ」を防ぎ、プロピオン酸は肝臓や脂肪組織に作用して血糖や脂質代謝を整えます。生活習慣病の予防や代謝改善、美肌やメンタルケアへの関与も報告されています。
免疫の調整役
さらに短鎖脂肪酸は免疫の調整役でもあります。免疫は強ければ良いというものではなく、過剰な反応はアレルギーや自己免疫疾患を引き起こします。短鎖脂肪酸は免疫細胞に働きかけ、炎症を抑えつつ必要な防御機能を維持します。慢性炎症が生活習慣病や老化の大きな要因となることを考えると、その存在は非常に重要です。
腸を整えるバイオジェニックス
現在、私は「健康な腸内細菌を体外で培養し、その発酵で得られる乳酸菌生産物質を体に戻すことで腸内環境を改善する」研究を進めています。数十種類の乳酸菌を共棲発酵させて得られるバイオジェニックス(乳酸菌生産物質)は、腸を整え、短鎖脂肪酸を含む多様な代謝物質を体に届けます。これは腸内の善玉菌を増やし、がんや糖尿病、高血圧、肥満、アレルギーなど生活習慣病の予防に役立つと考えています。
健康寿命を延ばすカギ
将来的には、500種類以上ある乳酸菌生産物質のどの組み合わせがどのような効果をもたらすのかが解明されていくでしょう。特に短鎖脂肪酸は、確かなエビデンスに裏付けられた中心的な物質です。さらに、腸内細菌の解析技術は急速に進歩しており、マイクロバイオームの構成や代謝産物を詳細に把握できるようになってきました。
こうした技術の発展により、一人ひとりの体質や生活に合わせて腸内環境を最適化する方法が見えてくるはずです。
そのとき短鎖脂肪酸は「健康寿命を延ばすカギ」として、より確かな位置づけを得るでしょう。

榊原 隆三 (さかきばら りゅうぞう)
医学博士
長崎国際大学 名誉教授
大阪大学医学研究科(薬理学)博士課程修了後、アメリカ合衆国テキサス大学留学。帰国後、大阪大学医学部講師、長崎大学薬学部助教授、九州女子大学家政学部(家政学科)教授を経て、2006年に長崎国際大学薬学部(薬学科)教授・学科長・学部長を歴任。産学共同研究として「乳酸菌生産物質プロジェクト」を立ち上げ、バイオジェニックスとしての乳酸菌生産物質の可能性を明らかにすべく、エビデンス獲得のため精力的に研究を行っている。
栄養書庫発行 : 『よくわかる健康サイエンス-13 腸内細菌がみんな元気に!短鎖脂肪酸を育てよう』より
